仕事じゃねえんだ、真面目に走れ〜40歳からのマラソン”Sub3"〜

育児と家庭と他の膨大な趣味とわずかな仕事をこなしつつ、、、。「ちょっとまたお父さん走りに行ったみたい・・・。」と妻と娘にゲキを飛ばされ突然マラソン"Sub3"を目指して走り始めた「まっさん」のブログ

【分水嶺敗退】山では小さなミスが大きなミスになる。そしてそこから立て直すのが容易じゃない、ってハナシ。

元気になって来ました、まっさんです。分水嶺3年連続敗退から1日経っておぼろげな記憶が蘇って来たり、あらためてログをパソコンで詳細に見たりと。このエントリーの内容も見直しました。先に読んで心配をおかけしてしまった方、すみませんでした。とはいえ、今回ばかりは自分的にNGな判断ミスもしてしまい、無事に家にいる事をありがたいと思っています。山でのイージーミスは命に関わる。こんな事書いてどうすんだ、とお叱りの声も聞こえそうだが自戒とざっと振り返り含めて。

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分水嶺トレイルという大会

分水嶺トレイルという大会はトレイルランの大会ではありません。山好きのための山岳縦走の力試しであり、トレイルランの大会のようなエイドはひとつもありません。
参加者は今までの山行を記したエントリーシートを提出し、3ヶ月かかってその中から約200名が選出され出場できる山岳縦走です。
参加者は自分の持ちうる体力と知識を前に山と対峙します。チームで力を合わせて臨むもの、ソロでの完走を目指すもの。そして100km、120kmと自分の選んだコースで力を試します。どちらも出場して来て、短いから簡単、長いから難しいというものでもない気がしました。歩き始めてすぐ夜になるAコースは夜間行動が増えます、制限時間も厳しく序盤は夜でも動き続けることが必要になります。Bコースはスタートしてまもなく朝を迎え見渡す限りの果てしない山々を超え、距離を踏むことになります。
みな、それぞれの思いで臨み、山に人生を捧げて来た大先輩方がそれを補助します。
補助といっても食べ物をくれたり一緒に歩いてはくれません。そっと背中を押してくれて見守っていてくれます。
山は平地よりずっと危険が多いですから、事故を防ぐためにヘリでの捜索サービス「ココヘリ」や山岳保険の加入、救命講習の受講などが義務付けられ、山は携帯の電波が通じませんのでそのような場所にはスタッフがそれぞれのチェックポイントで通過確認し、電波の通じる山域では参加者は通過を報告する義務があります。

自分でのリスク管理

登山計画書の提出と下山通知


上記のように登山計画書を作成し山を管轄する各警察署に提出しました。
警視庁、埼玉県警、山梨県警です。
また、15日の8時前にはゴールする計画だったのでそこから3時間以上遅れた場合に両親と妻、にそれぞれメールが行くように下山通知を設定、分水嶺終了しても連絡がない場合の対応についてまとめました。
結果的にこの下山通知はリタイヤにより取り下げました。

結果など


コース終盤の大弛峠で低血糖リタイヤとなりました。

ペースを守り調子良かった前半。
寒さで心拍が上がりづらくなってきた後半。赤で示した所は実際は2km足らずなのに5kmもログが残る(後述)4時間もかかった。記憶もおぼろげ。

スタートまで

Oちゃんにスタートまで送ってもらい万全を期す。

迎えにきたOちゃん、なぜかマスクにルナサンダル、かなり怪しい。しかもここ2ヶ月欠かさず朝4時に毎日1時間走っているとの事で77kgまで痩せてしまったと、残念。美ヶ原80kmではなんとプロに混じり年代別12位という結果を残すバケモノっぷり。言葉では説明のつかない不思議なオトコだ。

途中で奥多摩湖の売店に寄って軽食。中が凍ったアメリカンドッグを食す。Oちゃんはわさびアイスを購入、これ好きなんですよ〜!とか言いつつ悶絶している。好きなんじゃないのか?と尋ねると初めて買ったとのこと。つくづく不思議なオトコだ。

リレマラうみ組のSSさん撮影
まさかの出会いでしたがゴールされたのでしょうか??甲武信ヶ岳までは走っていくと言っていたが半端ねぇ。

序盤は非常に調子が良かった

中間点の甲武信ヶ岳までは非常に調子が良く、昨年より5時間も早く到着、スピードトレーニングを加えたことで心拍が上がりにくくなりトレーニングに手ごたえを感じた。19時間寝ていなかったものの疲れはなくかなりの寒さを感じていたが止まると寒いのでこのまま行ってしまおうと判断ミスをした。

雨の中コーヒー沸かして飲むという余裕もあり、山を楽しむ。

知らぬ間に限界を超えてしまった後半

UTMFで撥水が弱まったカッパに徐々に水が浸入。買って5年目のカッパだがこんなことはなかった。パンツまでびっしょりになり、走っていれば乾く。なんてもんではなくなる。
UTMFで弱った撥水を回復させておくべきだったのに0個目のミスを犯していた。こんなところから思い返せば今回の敗退に繋がったのだと思います。

専用の撥水剤も買ってあったが、UTMFで30時間雨に打たれても何ともなかったし、まだいける。と思っていた、やってはいけない慢心だった。


UTMFに続き雨でぐちゃぐちゃ。今回はUTMFの比ではなくマジで寒かった。2000m以上の標高で20時間以上雨に当たり続けていつのまにか自分の限界を超えてしまっていた。

限界なんてこうして超えてみないとどこだかわからないもんだ。そう思った。つくづく。

ケアレスミスでピットフォールへ

将監小屋にナルゲンボトルを忘れる

これが1つ目のミス。水を汲んで顔を洗ったりした際に給水した場所に1リットルの水を入れたナルゲンボトルを置いて来てしまった。

少し迷ったけれどそもそも山に持ち込んだものは持ち帰る。当たり前のことだと思い、将監峠から一度登った急登を下り、登り返し。休憩含めて40分ほどロス。

甲武信ヶ岳を朝7時に出発。

1つ目のミスで40分ロスしたせいもあり予定表から1時間遅れて到着。遅れた原因が分かっているので設定通りのペースで動けていると判断。
ゆっくり行っても昼にはCP3の大弛峠に着く。
昨年の試走では4時間、昨年の大会では5時間。
タイムリミットまでは8時間。ここまで全て計画通り。調子も良い。
雨具が浸水して寒いが止まっている方がもっと寒い、とリタイヤ者横目に変な脳内汁が出て意気揚々とスタート。

4時間半で行けると踏んだ。
そうすれば1つ目のミスを取り返せる。
これが2つ目のミス。
時間も余裕だし、ミスを取り返す必要なんてどこにもなかった。ミスはミスとして次やらなきゃ良い。
今回はそう思えなかった。

ところがなんかおかしいなと。

心拍が全然上がらず寒くて仕方ない。
多分この時もう低体温ぽかったんだと思う。
甲武信ヶ岳でツェルトを張り、ビバークして体力を回復させるべきだった。
スピードは上がらないけどもう20時間50kmも寝ないで走っているんだから当たり前か、と甘い判断をした。雨での体力消耗の引き算を忘れた。
2つ目のミスが状況を悪くし始める。

食べても食べても空腹感。

気持ち悪いなぁ、マズイなぁ。と思ってきた。
雨も降り続く中、チェックポイントまで残り2km地点。行くか、留まるか。
ここでツェルトを張ってビバークする、というのは最終行為。なぜなら登山道でツェルトを張るのは基本的には禁止。本当に動けなくなった時だけ。
あと2kmだぞ、行こうと判断。
これが3つ目のミス。
道端に座り込んで寝ていたところを声をかけられ目を覚ます。
冷えから体が動かなくなって来ていた。

低血糖発動

マズい、と思ってジェルなど食べるが全てリバース。焦る。胃もおかしいし自分の動作が緩慢。
ミスも3つ目ともなるとだんだん大きくなってくる、それが今回嫌という程痛感した山の怖さ。
バーナーでお湯を沸かしジェルを混ぜて飲んで少し回復。なんどもお湯をこぼしたり雨具の袖口を焦がしたりして自分がおかしな状況になっていることを自覚。
頭に出てくるのは嫁ちゃんと子どものこと。ちゃんとしなくちゃ、と何度も思う。
こぼさないように細心の注意を払って、沸かしたお湯に残ったモルテン3袋ぶち込んで飲んだのを最後に記憶は朧げなものに。

GPSログが示した恐怖

残り2km地点からのGPSログ、5kmも行ったり来たりしていた。


青丸がモルテン飲んだところ、残り2km。
ここから行ったり来たりしている。
(追記)本当に何があったんだか怖くて帰宅後何度もログを見直した。ガーミンのログ、ヤマレコのログ。大逆走が2回、それぞれ500m前後逆走していた。これで2km追加、あとは動けず留まっているところで15分おきにGPSが拾うが、電池の持ちを気にして拾う衛星を絞ったことが原因の衛星誤差で数mから数10m誤差が生まれて約1km。これで合計3km。これで2kmが5kmになった。
大逆走した場所はともに小さな「タル」。
尾根上のピークとピークの間の標高が低くなったところ、平らになっていて休憩しやすい。
「山は開けたところで迷いやすいから休むのには良いけどどっちから来たか絶対に忘れるなよ、ストックを進む方向に向けて休めば大丈夫だから。」
なんて、いつも後輩に教えていたのに自分でやっちまってた。
多分小さなタルで休んで方向感覚を失い、さて登るぞ!と反対方向に登ったんだと思う。
山を走っていても間違う時は開けたところを勢いよく通過する時だし、特に甲武信ヶ岳〜国師ヶ岳は周りの景色があまり変わらず、広大な自然が広がっていて試走してても迷ったら嫌だなあ、と思っていた。
試走の時、目をつぶってグルグル回ったらどちらから来たかわからなくなった。こんな場所に沢に続く道なんかあったりすると遭難者が出るポイントになったりする。
だから意識朦朧としてても何度も地図とGPSで自分の居場所を確認して正しいルートに進めたんだと思う。(追記ここまで)

ココハドコ?

目覚めたらチェックポイントの大弛峠の小屋に寝ていた。スケスケのアンダーパンイチ。両側には横になる前にはいなかった女性も寝ていてパニクる。
小屋の主人に後から来たリタイヤ者だと状況説明をされて落ち着く。

係員の人から聞いた話。

モルテン作って4時間後のこと。
制限時間内にCPに自分で歩いてきたらしい。
ただ右に左にと何度も転び、目の焦点も合わず、会話も噛み合わないので補食させてスープやコーヒーを飲ませて小屋で休むように布団をひいてくれたとのこと。
自分で荷物を持って小屋の入り口に荷物を置き、濡れたものはここで脱いで下さいという看板の前(屋外です)で「ここで服を脱ぐんだな。」とぶつぶつ独り言を言いパンイチになりwフラフラと布団に入ったとのこと。
脱ぎっぱなしの服は小屋の主人が乾かしてくれていた。汚れた犬の臭いした。

雨具が浸水して寒いのでリュックの中が濡れないように荷物を入れていた90Lの袋を頭のところに穴開けて被ったら雨音がパラパラと「パパダイスキ、パパダイスキ」ってずーっと聞こえていて心地よかったのはなんとなく覚えている。いい幻聴だなぁ、なんて思っていた。

記憶もおぼろげ、降りても降りても終わらない長い長い階段が嫌になったこと、到着した時に女性が温かい味噌汁を渡してくださったこと。1日休んで思い出した、そんな記憶。

なんでこの状態で自力でたどり着いたのかは最初は不明、と思った(書いた)が、ミスを取り返そうとしたのではなく、おかしいと思った時にリセットして地図を見る→GPSで自分の位置を確認する、とひとつづやり直したからだと思う。だから最悪のミスには繋がらなかった。そう思いたい。

小さなミスからこんな事になり恐怖とともに自分の判断の甘さ、責任感の無さに情けなくなる。

振り返り

今更振り返りもクソも、というところだが忘備録的に。

総括

1 山を駆け回っていた30代の頃と体力は違う。
特に回復力は落ちている。そこを自覚すべき。
マラソンでスピードが上がったから体力は上がったと勘違いした。
2 20年間の山人生で初めての出来事。山に慢心はなし(あるべきではない)とは思っているが、今回は大きな判断ミスがあった。
判断ミスをカバーしようとしても次のミスにつながり、だんだんミスが大きくなった。
3 単独行ならビバークしたり山行自体を中止したような場面でも大会だから、と無理をした。
4 チェックポイントまでの距離がさらに長かったらもっと大きなミスを呼び、命に関わる可能性があった。

ダメだった所

1 先のUTMFで痛んだ雨具の防水を怠ったこと。
2 甲武信ヶ岳で低体温っぽかったのに休んでても寒いしな、と出発したこと。
3 心拍が上がらなくなってきたのに休まないで動き続けたこと。平地のウルトラマラソンのように動き続ければ心拍を再びあげられると思ってしまったこと。
4 リタイヤする人を横目に俺は違う、あれだけやって来たんだ、大丈夫だ、と心の中で妙なマウントを取ったこと。
5 今年こそ完走、まわりのみんなにいい報告をしたいと無理をしたこと。
7 時々通り過ぎる人に助けを求めなかったこと。山が好きで散々旅して来たんだ、とちっぽけすぎるプライドを捨てられなかったこと。

ダメな中でも評価すべき所

1 低血糖になっていて判断がまともじゃないのに雨具が意味をなしてない事から90Lのビニールを被り寒さを防いだこと。(さらに意識が朧気な中、他のものが濡れないようにびっくりするほどきれいにパッキングをし直していた。いざという時のリタイヤ用の着替えやロープや財布など全く浸水が無かった、おかげできれいな服でタクシーに乗って電車で帰れた。)

何でも使えるからといつもパッキングに使っている90Lの厚さ0.30mmの分厚い袋。大抵は山行後ゴミなどまとめて家で用を終える。今回は大きな仕事をした。
2 なんとか補給をする、ということに執着してわざわざお湯を沸かして補給をしたこと。(焼けたバーナーをしまう際に熱いうちに触り手を火傷している上に、カッパの袖が焦げてしまっていたけど)

3 何度も立ち止まったが用意した地図とGPSで自分の現在地を確認して目的地に向かったこと。(そして自力でたどり着いたこと)

3年間で間違えやすいところや、かかった時間を書いて来た地図。

意識朦朧の中でも命を守る行動を行なったことは評価できる。(少しくらい自己肯定しないとやってられねぇ。)

おわりに

今嫁ちゃんと子どもは実家帰省中。
大会が終わったら合流予定だ。
意識朦朧の中でビニールを打ち付ける雨音がずーっと子供の声で「パパだいすき」と聞こえて心地よかった。意識はなかったけど妙な幸福感に包まれていたことは覚えている。変なできごと。


出かけるときは頑張れも行ってらっしゃいも無しの塩対応だったが報告後の優しさが身にしみる。

しばらく山はやめ。
(家族がいるし、特に2000mを超えるいわゆる「山」の単独行は娘が大きくなるまで行かないと思う。一晩経ってそう思った。嫁ちゃんにもちゃんと伝える。)
平地に戻る。

パパダイスキ、パパダイスキ、パパダイスキ、あの声が頭から離れない。

※ 一部加筆、修正しました。